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あらすじ

戦国時代の伊賀国は、六十六家もの土豪(国衆)が共存する「五百年乱不行地」であった。むろん、些細な土地争いはあったが、それも「惣」という評定機関により合理的に解決していた。まさに伊賀国は、土豪たちにとっての理想郷であった。しかし、信長が「天下布武」の旗印の下、伊勢・伊賀に食指を伸ばし始めたことにより、彼らの平和は破られることになる。
風雲急を告げる伊賀国に二十歳前後の四人の若者がいた。彼らの家は伊賀六十六家に属する豪族の子弟たちであった。平和な日々、彼らはともに田畑を耕し、猪を追い、夢や理想を語り合った。彼らは伊賀の地をこよなく愛し、祖父や父と同様にこの地で生き、そして、この地で死んでいくものとばかり思っていた。しかし、天下の情勢は彼らの運命を変えていく。
当時、隣国伊勢はすでに織田家の手中にあり、国主には信長次男の信雄が据えられていた。信雄は他の兄弟と比べて見劣りし、信長から最も軽視されていた。そのため、何か大きな戦果を挙げて、信長の寵を得ようとしていた。そこに付け込んだのが、僧侶出身の佞臣滝川三郎兵衛であった。彼は策を弄し、伊賀国衆を戦闘に駆り立てようとしていた。
かくして、「五百年乱不行地」伊賀国を舞台に、血で血を洗う抗争の火蓋が切って落とされた!

作者より

2005年に伊賀の中世古城をめぐるオフに参加したのがきっかけで、この作品を書きました。当初から構想があったわけではなく、伊賀の城をめぐるうちに、構想が湧いてきました。
伊賀は、発見済みのものだけでも六百三十四もの中世城館がひしめく日本有数の城郭遺構密集地帯です。けばけばしい電飾に飾られたパチスロ店や最近流行の総合娯楽施設が立ち並ぶ上野や名張の風景は、一見、ステレオタイプな地方都市の典型なのですが、ひとたび手近の山に入りさえすれば、そこには、中世そのものが息づいています。
それらの遺構群に足を踏み入れると、当時の人々の生活が鮮やかに甦ってくる気がします。彼らにも人生があり、喜びや悲しみがあったでしょう。生活は辛くとも、先祖から受け継いだものを子孫に残していくことだけを考え、男も女も懸命に生きていたはずです。子供が生まれれば喜び、身内が死ねば悲しむ。そうした営みは、何らわれわれと変わらなかったことでしょう。そうした平凡でありながらも、何よりも貴重な人生を彼らは続けたかったはずなのです。ところが、その平穏な日々は、織田信長という一人の男により破られます。「五百年乱不行地」は蹂躙され、すべての時間は、その時、止まったのです。そして伊賀は、500年間、眠り続けました。
私は、今では足跡はもとより、家名さえ残らぬ国衆たちの生きた証を描きたくて、この作品を書きました。もちろん、それは忍者に象徴される超人ではなく、等身大の人間としての伊賀国衆の実像が描きたかったのです。
この作品のテーマは、環境の変化に対する人の心の動きです。人は変化を嫌う動物だといいます。農耕というサイクリックな時間の中で生きている中世の人々にとり、変化を嫌う習性は、現代人よりも強かったと見るべきでしょう。それが支配層に対する叛逆、いわゆる土一揆として、全国各地で勃発していたことは周知の通りです。
伊賀という山脈に囲まれた閉塞空間において、先祖から脈々と受け継がれた時間の流れの中を生きる若者たちにとっても、それは同様だったと思われます。彼らの父、祖父、曽祖父も、農耕という一年周期のサイクリックな時間の中を生きてきました。そして、それは未来永劫、続くかに思われました。しかし変化は、突然、もたらされるわけです。
織田信長という一人の男が起こした時代の大波は、伊賀をも飲み込みました。若者たちは、外部からもたらされたこの大波にいかに対処するかという難題を押し付けられ、ある者は徹底抗戦し、ある者は妥協点を探り、また、ある者は進んで大波に身を委ねることになります。これは、そうした若者たちの物語です。
なお、登場人物は女性を除き、できる限り実在の人物を配しましたが、重複する苗字や名前が混乱を招く可能性がある場合、多少の変更を加えています。例えば、富岡忠兵衛の弟新八郎は、実際は富岡右衛門尉秀行として名前が伝わっています。しかし、主役である山内左衛門との混乱を避けるため、新八郎という名前を創作しました。いずれにしても、2~3名程度の改変ですので、史実を捻じ曲げる(笑)ことにはなっていないと思います。

書籍データ

価格: 900円+税
単行本: 535ページ
出版社: 角川グループパブリッシング (2012/12/25)
ISBN-10: 4041006163
ISBN-13: 978-4041006160
発売日: 2012/12/25

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