あらすじ
70年代の大学紛争、「よど号事件」を題材に、現代日本の〈情熱の在り処〉を問う!
川崎簡易宿泊所放火事件でみつかった身元不明の遺体を調べるうち、若き警察官・寺島は、1冊の古いノートを入手する。
そのノートには「1970」「HJ」の文字と、意味不明の数字の羅列が記されていた。
やがて寺島は、放火事件とかつて日本を震撼させた大事件との関連に気づき、その真相を握る男を追う――。
過去と現在が結びつくとき、巨大な陰謀が明らかになる。
書籍データ
単行本: 459ページ
出版社: 毎日新聞出版 (2018/6/22)
言語: 日本語
ISBN-10: 4620108375
ISBN-13: 978-4620108377
作者より
かねてより私は学生運動に興味がありました。
なぜあの時代の若者たちは、
高度成長真っただ中で何不自由ない生活を満喫できるにもかかわらず、
すべてをなげうって学生運動に邁進したのか。
とくにハイジャックなどという大それたことを、
どうしてやろうとしたのか不思議でなりませんでした。
この作品は、まずそうした謎を探っていきたいという思いから出発しました。
またそれを構想していた2015年5月、
川崎の簡易宿泊所で火災が起こり、
10名もの犠牲者を出しました(後に1名死亡で合計11名)。
この事件は放火らしいことまでは分かったのですが、
放火犯の動機も侵入と脱出ルートも全く分かっていません。
2015年なら、すでに各所に監視カメラが配置されていたはずですが、
そこにも証拠はないようで、今では迷宮入りしつつあります。
私は、よど号ハイジャック事件とこの簡宿火災を結び付けることで、
何らかの物語が紡げるのではないかと思ったのです。
********
簡宿放火事件の現場から、この長い物語は始まります。
現代パートの主人公の寺島は二十八歳。
都内の私立大学を出て警察官になったものの、
希望する公安には配属されず、川崎署で軽犯罪の取り締まりなどを行っています。
警察は東大や京大出以外はノンキャリアとされる世界で、
彼は二十代にして壁に突き当たります。
元々、ある理由があって警察官になり、
公安への配属を希望した寺島でしたが、
それにこだわったがゆえに、自分の人生を無駄にしてしまうのではないかという危惧を抱いています。
友人たちが大企業やベンチャー企業で華々しく活躍するのを知ることで、
そうした思いは、いっそう募っていきます。
そんな寺島ですが、元来が真面目なので仕事には熱心に取り組みます。
警察署のすぐ近くで起きた火災事案を担当することになった寺島は、
焼死した簡宿の住人たちに同情し、担当する焼死体の人物特定に力を傾けます。
その甲斐あって被害者十人中九人までを特定しますが、
残る一人がどうしても分かりません。
そんな時、焼け跡からコインロッカーのキーが見つかり、
寺島はコインロッカー会社の収容物の中から、あるノートを見つけます。
しかしロッカーのキーは溶けており、
最後の一人とそのノートとの接点はありません。
それでも寺島は、
そこに書かれていた「1970」という西暦らしきもの、
「H・J」というイニシャルらしきもの、
さらに延々と続く数字の羅列が気になります。
********
一方、学生運動華やかなりし1969年、
一人の若者が雄志院大学(架空の大学)のキャンパスに第一歩をしるします。
誰もが、これから始まる四年間の学生生活に胸を弾ませる中、
その若者だけは冷めた視線で学生たちを見ていました。
彼の本名は三橋琢磨。
しかし大学では中野健作です。
彼が二つの名前を持っているのは公安に所属する潜入捜査官だからです。
この頃、様々な運動の挫折から、
学生運動家たちは武力闘争へと舵を切り始めており、危険な集団と化しつつありました。
琢磨は白崎壮一郎率いる統学連に潜入し、その情報を公安に伝える役割を課されていました。
そんな彼の前に現れたのが、清楚な美人・桜井紹子です(沢尻エリカあたりで脳内再生して下さい)。
桜井は琢磨を統学連に誘います。
紆余曲折の末、琢磨は白崎の信用を得ることにも成功し、
まんまと学生運動の闘士になります。
そうした中、白崎は武闘派のセクトと連合して赤軍派を結成します。
ところが大菩薩峠で軍事訓練を行おうとしていた矢先、
警察に踏み込まれ、主要メンバーが逮捕されてしまうのです。
こうして追い込まれた白崎らは、世界を股に掛けた壮大な作戦に着手します。
その実行メンバーに、琢磨も入っていました。
********
ここから物語は急展開を見せます。
まさに『24』などのアメリカ製テレビドラマを見るような感覚になると思われます。
この作品は、寺島を視点人物にした現代パートは、
「刑事マルティン・ベック・シリーズ」的地道な捜査を、
琢磨を主人公にした過去パートは、
『24』的ジェットコースター展開をサンドイッチ構造にし、
ダッシュとクールダウンを繰り返すことにより、
読者に体験型アトラクションのような快感を得ていただくことを主眼としています。
というのも体験型アトラクションやバーチャルリアリティを駆使したゲームなどの登場により、
映像、スポーツ、音楽、小説といったエンターテインメントも変容を遂げていかねばなりません。
つまり、これまでのようにスクリーンやテレビを通して映像作品やスポーツを見る、
またステレオで音楽を聴く、小説を読むといった行為をより以上、
体験型に近づけていく必要があります。
こうした「体験を提供する」という動きに、小説も対応していかねばなりません。
その一つの回答がリアリティなのです。
見る、聞く、嗅ぐ、感じる(痛みなど)といった五感を刺激する表現を畳み掛けることで、
読者を「その場」に連れていくことが、これからの小説には必要なのです。
私の場合、これまでも長篠の戦場や熊野灘に、
はたまた19世紀のパリに読者の皆様をお連れしましたが、
今回は1970年頃の日本と北朝鮮にお連れします。
そこで何が見え、何が聞こえ、何を感じるかを、この作品では徹底的に追求しました。
もちろん、そうしたものだけで物語は成り立ちません。
濃密な人間ドラマの中に読者を放り込み、
主人公と一緒に喜び、恐れ、悲しみ、何かを成し遂げることこそが、エンタメ小説の真髄です。
もちろん伊東潤の強みである歴史小説的展開も健在です。
綿密な取材と調査によって、架空のものを除いたすべての事件の場所や日時は、現実の事件と合致させているので、
読者はあたかも、主人公の体験を現実のもののように感じることができます。
かくして『ライト マイ ファイア』は、
伊東潤がリサーチした最近の読者の嗜好と、
これまで培ってきた小説執筆ノウハウを叩き込んだ集大成的作品となりました。
最後に一つだけ申し上げたいのは、
この作品が読者参加型の初めての小説作品となったことです。
私はかねてから読書会を開いていましたが、
この作品では事前に「サンデー毎日」誌上に連載したバージョン(旧タイトル『アンフィニッシュト』)をPDFとして読書会参加者に配布し、
読書会の場で出た参加者のアイデアや意見を参考にし、最終的な仕上げをしたのです。
これも読者と一緒に「体験を共有する」ことにほかなりません。