『北条氏照 秀吉に挑んだ義将』 2016年5月12日 Amazonで購入 あらすじ この作品は、既刊の『戦国関東血風録 北条氏照修羅往道』を氏照視点に書き換えたものです。基本的なストーリーは変わりませんので、『戦国関東血風録 北条氏照修羅往道』の「あらすじ/背景説明」を御覧下さい。 作者より 私の処女作は『悲雲山中城』ですが、最初に出版した作品は、『戦国関東血風録 北条氏照修羅往道』でした。この作品は、史実の誤りや文章表現の拙いところが散見され、今、読み返すと、赤面してしまうような箇所もあります。 そこで「いつの日かリベンジしたい」と念じていました。というのも、この作品の構成は、たいへん気に入っていたからです。 2008年のある日、PHP様からコンタクトがあり、この作品を「氏照単独視点に書き直し、文庫書き下ろしで出してみないか」という話があり、私は飛びつきました。しかし、そこからが大変でした。元々、群像劇として『戦国関東血風録』は書かれたものなので、氏照の単一視点にすることにより、多くの部分を加筆修正することになりました。それだけでなく、すべての史実の洗い直しも徹底して行ったので、思いのほか、時間がかかってしまいました。結局、初めから書き直した方がよかったと思われるくらいでした。 いずれにしても長い苦闘を経た末、何とか、この作品を上梓することができました。 これも一重に、皆様のご声援のたまものです。 この作品は、「武将単体モノの文庫本」ということもあり、ハードカバーとは異なる趣向を凝らす必要がありました。 まず、スピード感重視で一気に読ませるよう、流れをスムースにしました。わかりやすく言えば、記述を氏照の行動に絞り、それ以外の説明はできるだけ簡略化しました。 また、使用する用語なども、割とわかりやすいものを選びました。 それゆえ、伊東潤という作家を知る上で、最初に読む作品としては最適なものになったと思われます。 この作品のテーマは、「漢は、己の生き様をいかに貫くか」です。 現代社会に生きるビジネスマンにも共通することですが、自らの「生き様」をいかに規定しても、他人とともに社会生活を営む限り、どこかに妥協が生まれます。その妥協は、初め小さな穴であっても、妥協に妥協を重ねることで、次第に大きな穴となっていきます。 やがて、妥協を重ねることに慣れ、「世間に染まってしまう」ことになります。若い人から見た中年が、皆、死んだ目をしているように見えるのは、世間というものに染まってしまい、その流れに身を任せているからです。人は、毎日、どこかで妥協を重ねることにより、徐々に青雲の志を見失い、目の光を失っていくのです。 それが、人というものかも知れません。 現代社会でちやほやされている戦国時代の英雄たち、伊達政宗、上杉景勝、毛利一族、島津兄弟らは、皆、織田家の天下の簒奪者である秀吉の前に膝を屈しています。その後も、見苦しい変わり身を見せ、結局は長いものに巻かれていきます。どのような理屈をつけても、それは厳然たる事実として、われわれに突きつけられています。 その彼らの生き様が、毎日、何がしかの妥協をしながら生きねばならない、われわれ社会生活を営む者たちの言い訳ともなっているのです。 しかし、北条氏照は違いました。 氏照だけは、最後まで妥協しませんでした。その「ぶれない生き様」こそ、現代に必要なものであると私は信じています。氏照を通じて、現代では稀となった「ぶれない生き様」を味わっていただければ幸いです。 紅蓮の炎に染まった関東平野を、氏照とともに疾走しましょう。 書籍データ 価格: 781円+税 文庫本: 388ページ 出版社: PHP研究所 ISBN-10: 4569673058 ISBN-13:978-4569673059 発売日: 2009/07/01 Amazonで購入
作者より
私の処女作は『悲雲山中城』ですが、最初に出版した作品は、『戦国関東血風録 北条氏照修羅往道』でした。この作品は、史実の誤りや文章表現の拙いところが散見され、今、読み返すと、赤面してしまうような箇所もあります。
そこで「いつの日かリベンジしたい」と念じていました。というのも、この作品の構成は、たいへん気に入っていたからです。
2008年のある日、PHP様からコンタクトがあり、この作品を「氏照単独視点に書き直し、文庫書き下ろしで出してみないか」という話があり、私は飛びつきました。しかし、そこからが大変でした。元々、群像劇として『戦国関東血風録』は書かれたものなので、氏照の単一視点にすることにより、多くの部分を加筆修正することになりました。それだけでなく、すべての史実の洗い直しも徹底して行ったので、思いのほか、時間がかかってしまいました。結局、初めから書き直した方がよかったと思われるくらいでした。
いずれにしても長い苦闘を経た末、何とか、この作品を上梓することができました。
これも一重に、皆様のご声援のたまものです。
この作品は、「武将単体モノの文庫本」ということもあり、ハードカバーとは異なる趣向を凝らす必要がありました。
まず、スピード感重視で一気に読ませるよう、流れをスムースにしました。わかりやすく言えば、記述を氏照の行動に絞り、それ以外の説明はできるだけ簡略化しました。
また、使用する用語なども、割とわかりやすいものを選びました。
それゆえ、伊東潤という作家を知る上で、最初に読む作品としては最適なものになったと思われます。 この作品のテーマは、「漢は、己の生き様をいかに貫くか」です。
現代社会に生きるビジネスマンにも共通することですが、自らの「生き様」をいかに規定しても、他人とともに社会生活を営む限り、どこかに妥協が生まれます。その妥協は、初め小さな穴であっても、妥協に妥協を重ねることで、次第に大きな穴となっていきます。
やがて、妥協を重ねることに慣れ、「世間に染まってしまう」ことになります。若い人から見た中年が、皆、死んだ目をしているように見えるのは、世間というものに染まってしまい、その流れに身を任せているからです。人は、毎日、どこかで妥協を重ねることにより、徐々に青雲の志を見失い、目の光を失っていくのです。
それが、人というものかも知れません。
現代社会でちやほやされている戦国時代の英雄たち、伊達政宗、上杉景勝、毛利一族、島津兄弟らは、皆、織田家の天下の簒奪者である秀吉の前に膝を屈しています。その後も、見苦しい変わり身を見せ、結局は長いものに巻かれていきます。どのような理屈をつけても、それは厳然たる事実として、われわれに突きつけられています。
その彼らの生き様が、毎日、何がしかの妥協をしながら生きねばならない、われわれ社会生活を営む者たちの言い訳ともなっているのです。
しかし、北条氏照は違いました。
氏照だけは、最後まで妥協しませんでした。その「ぶれない生き様」こそ、現代に必要なものであると私は信じています。氏照を通じて、現代では稀となった「ぶれない生き様」を味わっていただければ幸いです。
紅蓮の炎に染まった関東平野を、氏照とともに疾走しましょう。