武士の碑 2016年5月12日 Amazonで購入 kindleで購入 作者より 西郷隆盛や西南戦争を描いた長編小説というのは、あまりありません。 司馬先生の『翔ぶが如く』、津本陽氏の『巨眼の男』、また海音寺潮五郎氏の『史伝西郷隆盛』くらいでしょうか。私が読んだことがあるのは、『翔ぶが如く』だけですが、どれも長いのが特徴です。 巨匠たちをもってしても、西郷の生涯を描き切るのは大変なのでしょうね。 それゆえ『武士の碑』は、西郷隆盛というより西南戦争を取り上げ、その原因と経過を克明に描き切ることにしたわけです。 西郷隆盛という人物は、織田信長や千利休らと同様、本人の視点で描くことで、その魅力が半減するように感じました。 何とも捉えどころのない西郷像をそのままに、その実像に迫るには、側近の視点から描くのが最適です。 側近といえば、まず思い浮かぶのが桐野利秋(中村半次郎)ですが、桐野は別府晋介や辺見十郎太同様、西郷を神のように崇め、西郷を批判しません。 西郷のよきアドバイザーであり、時と場合によっては諌められる立場の人間はいるのかと考えると、側近中の側近に一人の男がいました。 村田新八です。 しかも村田は、開明的なことにかけては薩摩人の中でも有数の一人で、岩倉使節団の一人として欧米を視察しただけでなく、その魅力に取り付かれ、官を辞してもパリに残ろうとしたほどです。 また村田は、西郷だけでなく大久保利通とも距離が近く、薩閥の次代を担う大政治家に成り得る逸材でした。 しかし運命のいたずらか、西南戦争に巻き込まれていくわけです。 つまりこの作品は、村田新八の視線から西郷隆盛と西南戦争を描いたものです。 前作『死んでたまるか』では、「何があってもあきらめない男」大鳥圭介を描きましたが、それとは対照的に、この作品では、「男には、死なねばならない時がある」をメッセージとしました。 そこから「武士とは何か」「死とは何か」がテーマとして浮かび上がってくるはずです。 この作品によって、日本最後の内戦である西南戦争の意味を問い直したいと思っています。 そうした文学的・歴史的なテーマの追求ばかりでなく、「そこに読者を連れていく」ことをモットーとするのが、作家・伊東潤の使命でもあります。 今回、読者の皆様をご招待するのは、西南戦争の舞台となった九州各地、そして十九世紀のフランスです。 これからのエンタメ文芸が生き残るための一つの方向性として、文章表現力によって、五感で感じられるような臨場感を描く必要があると思います。 また、「その世界から出たくない」と読者に思ってもらえるような空間構築力も必須です。 すなわち文字の力を限界まで引き出し、「文字だけでも、これだけできるんだ」ということを、この作品でも証明したいと思っています。 またサイドストーリーも、この作品の隠し味となっています。 それがどういう話なのかは、あえて言いませんが、きっと楽しんでいただけると思います。 そして、帯のコピーにも使われている「衝撃の結末」とはいかなるものなのか。 そこに想像を馳せながら、お読みいただくのも楽しいと思われます。 概して、こうした宣伝文句は肩透かしを食らわされるものなのですが、私がしくじるわけないのは、ご存じの通りです(笑)。 書籍データ 文庫版 価格: 944円(税込) 単行本: 456ページ 出版社: PHP研究所 ISBN: 978-4-569-76755-0 発売日: 2017/9/8 Amazonで購入 kindleで購入
作者より
西郷隆盛や西南戦争を描いた長編小説というのは、あまりありません。
司馬先生の『翔ぶが如く』、津本陽氏の『巨眼の男』、また海音寺潮五郎氏の『史伝西郷隆盛』くらいでしょうか。私が読んだことがあるのは、『翔ぶが如く』だけですが、どれも長いのが特徴です。
巨匠たちをもってしても、西郷の生涯を描き切るのは大変なのでしょうね。
それゆえ『武士の碑』は、西郷隆盛というより西南戦争を取り上げ、その原因と経過を克明に描き切ることにしたわけです。
西郷隆盛という人物は、織田信長や千利休らと同様、本人の視点で描くことで、その魅力が半減するように感じました。
何とも捉えどころのない西郷像をそのままに、その実像に迫るには、側近の視点から描くのが最適です。
側近といえば、まず思い浮かぶのが桐野利秋(中村半次郎)ですが、桐野は別府晋介や辺見十郎太同様、西郷を神のように崇め、西郷を批判しません。
西郷のよきアドバイザーであり、時と場合によっては諌められる立場の人間はいるのかと考えると、側近中の側近に一人の男がいました。
村田新八です。
しかも村田は、開明的なことにかけては薩摩人の中でも有数の一人で、岩倉使節団の一人として欧米を視察しただけでなく、その魅力に取り付かれ、官を辞してもパリに残ろうとしたほどです。
また村田は、西郷だけでなく大久保利通とも距離が近く、薩閥の次代を担う大政治家に成り得る逸材でした。
しかし運命のいたずらか、西南戦争に巻き込まれていくわけです。
つまりこの作品は、村田新八の視線から西郷隆盛と西南戦争を描いたものです。
前作『死んでたまるか』では、「何があってもあきらめない男」大鳥圭介を描きましたが、それとは対照的に、この作品では、「男には、死なねばならない時がある」をメッセージとしました。
そこから「武士とは何か」「死とは何か」がテーマとして浮かび上がってくるはずです。
この作品によって、日本最後の内戦である西南戦争の意味を問い直したいと思っています。
そうした文学的・歴史的なテーマの追求ばかりでなく、「そこに読者を連れていく」ことをモットーとするのが、作家・伊東潤の使命でもあります。
今回、読者の皆様をご招待するのは、西南戦争の舞台となった九州各地、そして十九世紀のフランスです。
これからのエンタメ文芸が生き残るための一つの方向性として、文章表現力によって、五感で感じられるような臨場感を描く必要があると思います。
また、「その世界から出たくない」と読者に思ってもらえるような空間構築力も必須です。
すなわち文字の力を限界まで引き出し、「文字だけでも、これだけできるんだ」ということを、この作品でも証明したいと思っています。
またサイドストーリーも、この作品の隠し味となっています。
それがどういう話なのかは、あえて言いませんが、きっと楽しんでいただけると思います。
そして、帯のコピーにも使われている「衝撃の結末」とはいかなるものなのか。
そこに想像を馳せながら、お読みいただくのも楽しいと思われます。
概して、こうした宣伝文句は肩透かしを食らわされるものなのですが、私がしくじるわけないのは、ご存じの通りです(笑)。