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『茶聖』『走狗』『西郷の首』など、歴史小説の名手として知られる伊東潤が新作に選んだテーマは明治に起こった「八甲田雪中行軍遭難事件」。

今この事件を取り上げた意義や、BC級戦犯を描いた『真実の航跡』、よど号ハイジャック事件をモチーフとした『ライトマイファイア』など、近現代小説に作品の幅を広げつつある想いや背景を、作家の早見俊氏をゲストにお招きし対談しました。
(2020年5月9日オンラインにて対談)

『茶聖』『走狗』『西郷の首』など、歴史小説の名手として知られる伊東潤が新作に選んだテーマは明治に起こった「八甲田雪中行軍遭難事件」。

今この事件を取り上げた意義や、BC級戦犯を描いた『真実の航跡』、よど号ハイジャック事件をモチーフとした『ライトマイファイア』など、近現代小説に作品の幅を広げつつある想いや背景を、作家の早見俊氏をゲストにお招きし対談しました。
(2020年5月9日オンラインにて対談)

近現代作品への思い

伊東潤(以下伊東):2007年のデビュー以来、幕末・明治維新以前の歴史小説を中心に書いてきましたが、2016年に『横浜1963』を上梓してからは、近現代小説も手掛けるようになりました。今回は6月22日に『囚われの山』という作品を発売するにあたって、過去の作品を振り返りつつ、なぜ私が近現代小説に挑戦するのかを中心にお話ししていこうと思っています。ゲストには早見俊さんにお越し頂いています。早見さん、よろしくお願いします。

早見俊(以下早見):こちらこそよろしくお願いいたします。時代小説を手掛けておりまして、文庫書き下ろしを中心に発売しております。

伊東:私の書いた近現代小説を4冊とも読んでくれている作家が、早見さんと誉田龍一さんでした。私も含めた3人に共通しているのは、年齢が近いということと、歴史・時代小説を中心に書いている作家でありながら近現代物にも挑戦しているという点です。
本来この対談は3人で行う予定でしたが、誉田さんが今年3月9日に急逝され、残念なことに対談という形になってしまいました。
私が早見さんからのメールで誉田君の死を知ったのが、3月12日の早朝でした。あまりに急だったのでたいへんショックを受け、その日一日は仕事が手につきませんでした。死因は心不全ということで、何日か前から体調が悪かったと後で聞きました。
告別式にも行きましたが、誉田君は大仏のように落ち着いた顔で、安らかに眠っていました。おそらく苦しみ少なく死を迎えたのだと思います。ご冥福をお祈りしています。

早見:誉田さんの近現代作品は数が多く、今では電子書籍でしか読めないものも多いですよね。

伊東:文庫書下ろしの『ファイヤーファイター』は献本いただいてすぐ読んだのですが、電子書籍までは読んでいません。意外にたくさんの近現代物を書いていたんですね。
誉田君はどの時代の作品も実に読みやすい。ストーリー展開も、うまく緩急が付けてあって巧妙です。以前、彼に現代物を書く理由を尋ねたところ、「ミステリーが好きだから」という答が返ってきました。確かに彼は、マニアと呼んでもいいほど海外ミステリーが好きでした。
早見さんに改めてお聞きしたいのは、近現代作品に挑もうとしたきっかけや、書く意義はどこにあるとお考えですか。

早見:私は元々ミステリーが好きでした。ミステリー作品で新人賞に応募したものの、ことごとくダメだったのですが、ミステリーで育ってきたところがあるので、作家デビューした後も、ミステリーを書きたいという思いを持ち続けていました。時代小説のシリーズものを書くことに重点を置く中で、時代小説におけるミステリーものも書いていましたが、やはりミステリーの王道である現代ミステリーにチャレンジしたい、とどこかで考えていましたね。そこに作家としての間口を拡げたい、他のジャンルも書けるということをアピールしたい、という気持ちも加わっていたと思います。最終的には、機会を得て何作か書くことができました。

伊東:早見さんは、これまで時代小説を含めて何作くらい手掛けているのですか?

早見180から200作くらいですかね。たくさん書くことは文庫書き下ろしの時代小説作家の生き残りの道でしたので。最近はないのですが、シリーズもので年3作の執筆依頼があったこともありました。デビュー当初から出版社の編集者に、毎月書店さんの棚に載せられるような、選ばれるような作品を作らないといけない、ということは言われていましたね。

伊東:凄い作品数ですね。よくそれだけのアイデアを絞り出せますね。いずれにせよ作家も生き残り競争が激しく、書店さんの平台の奪い合いは激化の一途をたどっています。出版点数も異常に多くなっているので、どれだけ長く平置きしてもらえるかが勝負です。平台の入れ替えも激しいので、常に置いてもらうためには、ハイペースで新作を出し続けなければなりません。

早見:仰るとおりです。特に文庫は2週間くらいですぐ入れ替わります。まさにサバイバルです。

伊東:多くの作品を生み出している早見さんですが、どんな作家や作品がお好きなのですか?

早見:海外でいくとジェフリー・ディーヴァー、R・D・ウィングフィールドが大好きです。どんでん返しが上手い作家に惹かれてしまうところがありまして(笑)日本だと横溝正史さんといった王道はもちろん好きですし、綾辻行人さんや京極夏彦さんは新刊が出れば必ず買って読んでいます。凝った展開や仕掛けを入れてくるので刺激をもらっています。一読者として欺かれる快感を期待している、というところもありますね

伊東:「欺かれる快感」はいいですね。上質なミステリーを読むと、私も創作意欲がわいてきます。

近現代作品を描く理由

伊東:早見さんのお話を伺った後ですが、私の方からも近現代小説を書く意義や挑むに当たっての心構えをお話ししたいと思います。
私は戦国時代を舞台にした歴史小説からスタートしました。しかし当初からジャンルに囚われず幅広く書いていきたいという思いはあり、その機会をうかがっていました。とくに戦後昭和まで描いていきたいという気持ちは、年々高まっていました
というのもここ数年、これまで地続きだった昭和が、次第に歴史の世界に行きつつあると感じていたからです。それは戦後昭和も同じで、事件や事故などに関して、ノンフィクションをベースにしたフィクションという形式が使いやすくなった気がします。つまり戦後昭和にまで、歴史小説の守備範囲を押し広げることができるようになったと感じているのです。

早見特に戦後の昭和は、私を含めリアルタイムで経験した人々が多くいるだけに、当時の報道とは違う角度から光を当てることで、あの事件にはそんな一面があったのかという驚きを感じられます。変な言い方ですが、自分の人生経験がエンターテインメント化できると思います。

伊東 : その通りですね。「事件を違う角度から照射する」というのは小説ならではの技法で、これまで無味乾燥な事実しか知らなかった事件も、新鮮な視点から見えてきます。
先ほど作家の過当競争の話をしましたが、戦国や幕末を舞台にした小説は、まさにレッドオーシャンです。斬新な切り口の作品は売れることもありますが、歴史をなぞっただけの武将物や英雄物は売れなくなりました。それほど歴史・時代小説も飽和状態にあるのです。
だからこそブルーオーシャンを開拓せねばなりません。私はそれが明治十年以降の時代だと考え、そこから昭和までの時代を題材にした作品に進出することに決めました。

近現代史を小説として書くということは、失われつつある日本人の足跡を残していくことにもつながります。「それなら研究本やノンフィクションを読めばよい」と思われるかもしれません。しかし、どれほどの方が近現代史の研究本を読まれるのか。中には興味があっても、きっかけがないので手が出せないという方もいるでしょう。だからこそ小説という入りやすい媒体を通じて大枠を知ってもらい、さらに知りたければ、参考文献に手を伸ばしてもらうというパスを作りたいのです
近年はネットを通じて様々な情報が入手しやすくなったので、自分が欲しい情報だけを手にして、他のことに目もくれないフィルターバブルという状態が当たり前のようになっています。そのため近代史を全く知らない若者もいます。歴史全体に目を向けてもらい、歴史を学ぶ大切さを知ってもらうためにも、小説を媒介にしてもらいたいのです。

早見伊東さんの作品を改めて振り返ると、誰も手を出さなかった人物や事件を取り上げてますよね。長尾景春の『叛鬼』をはじめとした、戦国初期の関東の争乱を描いた、と聞いたときは驚きました。貪るようにして読んだことを覚えています。
あとは『虚けの舞』ですね。主人公の一人・織田信雄はどうしようもない人物として一括りでまとめられてしまうものなのですが、そういう人間でさえ、きちんと光を当てて作品として成立させてしまうところに、作家としての技術はもちろん、チャレンジの姿勢に感銘を受けております。

伊東:ありがとうございます。作家になるからには生き残り戦略が必要だと思い、デビュー前後にいろいろ考えました。競争が激しい世界だということは聞いていましたので、まず誰も書いていない分野に進出しようとしました
私が小説を書き始めた2003年頃は、北条氏や武田氏の末期を描いた小説などほとんどなく、まずはその辺りがスイートスポットだと思い、戦国時代後半という時間軸と東国という地域軸を中心に、次第に領域を広げていきました
実はこうした考え方は、コンサルタント時代の経験が役立っていまして、最初にあれもこれも描こうとすると、固定読者層が作れません。読者に「ああ、北条を描く作家さんね」といった印象を持ってもらうまでは、同一の時代と地域を舞台にした作品を書いた方がいいと思いました。

あとは、著名な英雄豪傑ばかりでなく、歴史に埋もれた人物にも注目しました。織田信雄や今川氏真といった面々ですね。彼らのような英雄豪傑とは違った価値観を持つマイナーな人物を取り上げたことで、一定の足場を築けたと思っています。

近現代作品を描くポイントについて

伊東近現代作品を描くにあたって、まず考えたのは「様々な事実が明白」「人物のイメージを変えにくい」「あまりに複雑」といったハンデです。こうしたハンデをどう克服し、読みやすくて面白い近現代小説を書くかが勝負所だと思いました
そこでミステリー仕立てにすることにしました。特徴としてはフィクションとノンフィクションの間を行き来するような作風を確立しようと思いました。もっともどちらの要素を強くするかは様々です。『横浜1963』のように時代背景だけを借りることもあれば、『ライトマイファイア』のように仮説を構築してから史実と擦り合わせていくという手法も考えました。これは『囚われの山』にも共通した手法です。

早見現代と過去、フィクションとノンフィクションを行き来することで取り上げる事件が身近に感じられました。よど号ハイジャック事件、八甲田山の遭難、報道の記憶や映画などで何となく知っている程度から、一体どんな事件だったのだろうと興味をかきたてられます。

伊東: また詳細な風景描写によって読者の脳裏に映像を喚起するというのも、差別化要素の一つとして取り入れました。近現代史の第一作『横浜1963』では、1963年の横浜をいかに蘇らせるか、いかに活字で表現するかに留意しました。また『真実の航跡』でも、舞台となる戦争直後の香港をいかに描くかに力を傾けました。それぞれ入念な取材を行い、当時の写真なども、できる限り探しました。
さらに精緻な心理描写によって、複雑な人間性をあぶり出すということも心がけようと思った点です。これは歴史・時代小説を描いてきた作家に一日の長があると思っています。
さらに登場人物の造形もかなり意識しました。いかに当時の価値観を反映させたリアリティある人物像を描いていくか、当時の価値観やメンタリティを知るために努力を惜しみませんでした。

早見:ミステリー作品は鉄板の設定があり、ネタバレを避けるために細かい心理描写ができない(しない)傾向があります。その結果、画一的な人物が描かれる事が本当に多いです。伊東さんの近現代作品は主人公のキャラが際立っていて、物語の邪魔にならず、むしろこの物語があるからこそ、人物たちが魅力的に違和感なく動いていくところが本当に考えて描いているんだな、と感じております。先ほど出てきた『横浜1963』は、主人公のバディものでしたが、二人の設定に唸らされました。こういう現代モノは読んだことがなかったです。映像が思い浮かぶようで、声が聞こえてくるようでした

伊東:ありがとうございます。『横浜1963』の二人の主役の人物造形には、とくに心を配りました。ストーリーの展開に合わせて、徐々に二人のプロフィールが分かってくるような構成にしました。
現代小説には、画一的な人物像が多いという傾向はありますね。テレビドラマの影響なのか、脇役などを描くにあたって変にキャラを立てようとするのか、ステレオタイプなキャラの造形もみられます。それが著しくリアリティを損ねてしまっている気がします。
もっと自然体で、自分が出会ってきた人をモデルにして造形すれば、おのずと生き生きとしたキャラクターは作れると思います。

伊東潤近現代作品を振り返る①

『横浜1963』

伊東:『横浜1963』から振り返っていきますが、本作は私にとって初の近現代物作品であり、また初のミステリー作品でもあります。
この作品は事件発生、捜査、解決という単純な展開にしないよう、日本人と米国人二人の主人公を設定しました。いわゆるバディものです
構成は、殺人事件の捜査という縦糸に当時の社会状況という横糸を通していくことで、ストーリーを楽しみながら、読者に「こんなことがあったのか」ということを知ってもらおうとしました。
もちろんハードボイルド色を強く打ち出すことや、視覚・聴覚・味覚といった感覚に関する表現を繰り返すことによって、当時の横浜に読者を連れていくことも意識しました
お手本にしたのは、スウェーデンのマイ・シューヴァルとペール・ヴァールーという夫婦作家の書いた「刑事マルティン・ベック・シリーズ」です。このシリーズの画期的なところは、風景描写や心理描写が少ないこの手のジャンルにおいて、ストックホルムの饐えた匂いが漂ってくるような描写とか、しがない中年刑事の心象風景といったものを緻密に描いていることです。非常に参考になりました。
『横浜1963』で最後に付け加えたいのは、文庫解説が誉田君だという点です。こうしたミステリーは彼の好みと一致しているので、迷うことなく依頼しました。今となっては本当によかったと思っています。

伊東潤近現代作品を振り返る②

『ライトマイファイア』

伊東:この作品は、1969年から70年頃に盛り上がっていた学生運動の熱気を描きたかったというのが最初の動機です。 そこでメインとなる事件をどれにするかなのですが、多くの作家がすでに「あさま山荘事件」を取り上げているので、スケールが桁違いにでかい「よど号ハイジャック事件」を背景にした小説にしました。それからこの事件に関する資料を読み漁っていったのですが、一つ引っ掛かる点が出てきました。

早見:私の大学時代も学生運動はありました。授業に乗り込んで妨害したり、右翼が突っ込んでくるんじゃないかと大学内に緊張が走ったり、ということがありましたね。 この作品は伊東さんがセールスポイントとおっしゃっている「歴史解釈力」が発揮されていると思います。歴史上の事件にありそうな巧みな解釈を加え、大がかりな展開で収束に持っていく、あれには本当に感心させられました。

伊東:ありがとうございます。調査を進めていくと、よど号をハイジャックして北朝鮮に渡った者たちの中に、吉田金太郎という謎の人物がいたのです。彼は初期に北朝鮮政府によって消されたようですが、その理由が分からない。そこで「実は公安だったのではないか」という点に気づき、この仮説を基にストーリーを組み上げて行きました。
他のメンバーが大学生か大卒の中、彼だけは高卒の工員で、日立造船に勤めながら共産党思想に傾倒し、皆と一緒によど号に乗って北朝鮮に行くんです。そして、なぜかすぐにいなくなる。
現在まで生き残っているメンバーも、吉田については何も語らないので、粛正されたんじゃないかと言われています。それでは、なぜ粛正されたのかという疑問に対して私が出した解答が吉田金太郎公安説です。それによってノンフィクションをベースにしたフィクションを作っていくことが出来ました。
僕のキャリアの中で一番頭を使った作品ですし(笑)、苦労もしましたが、その分クオリティが高い作品となりました。これまでの作品の中でベストの一つだと自負しています。

早見:この作品は読書会(*隔月で行っている伊東潤コミュニティイベント「伊東潤の読書会」)で初めて読ませて頂き、読み終えたときに震えるような感動と、予想だにしない結末に驚かされました。

伊東潤近現代作品を振り返る③

『真実の航跡』

伊東:日本人が一番知りたがらない「不都合な史実」を描こうと思いました。それで行き着いたのが戦犯裁判の小説でした。しかしこれも、日本人が歩んできた足跡の一つなのです。そこから目を背けてはならないと思っています。
小説は「楽しむこと」も大切ですが、ときにはこうした苦い小説を読むことで、新たな視野が開けてくることもあります
僕が描きたかったのは、法律を駆使すれば、相手が戦勝国だろうと戦い抜くことができるということです。どんなアゲインストな状況だろうと、法の正義を信じればブレークスルーできる。それゆえ正義感溢れる若い弁護士の視点で描いたんです。
ここ最近、軍事力によって国際秩序を変えようとする国が出てきました。それに対し、人類の英知の結晶たる法の正義をもう一度見直してほしい。そういう思いもありました。
他にも軍の隠蔽体質や忖度、責任の所在を明確にしないといった日本人固有の悪癖は、現代企業にも引き継がれています。
こうした「不都合な史実」を避けずに知ることで、われわれ日本人は、国際社会に通用する価値観を持ち得るのではないかと思っています。

早見: 戦犯裁判というと、A級戦犯を裁いた東京裁判をイメージしがちなんですが、B、C級戦犯に指定され、死刑判決を受けた人々が約千人もいるんですね。そうした事実はあまり報道されないため、歴史に埋もれてしまうかもしれません。「真実の航跡」は日本人として歴史に埋もれさせてしまってはいけない事実を掘り起こしてくれたと思います。

伊東潤近現代作品新作

『囚われの山』

伊東:最新作『囚われの山』が6月22日に発売されます。本作は八甲田雪中行軍遭難事件の謎を、現代の歴史雑誌の編集部員が解明していくという趣向の作品です。
この事件の小説は、新田次郎さんが『八甲田山死の彷徨』を書いて以来約50年、誰も手を付けませんでした。その偉大な高峰に挑むにあたって、新たな視点で描かなければ意味がありません。いわば別の登頂ルートから八甲田山の頂上を目指したわけです
ところがいざ始めてみると、想像以上に苦戦しました。『八甲田山死の彷徨』を再読し、多視点群像劇という最初の構想のままだと、新田さんの作品と同じ切り口になりかねないことに気づいたのです。
そこで何らかの刺激が欲しいと思って手を伸ばしたのがドニー・アイカーの『死に山』でした。この作品は、作者本人がディアトロフ峠事件というロシアで実際にあった山岳遭難事件の謎を探っていくというノンフィクションですが、当事者たち、捜索者たち、そしてアイカー自身という三つの物語(厳密には記録)が入れ子構造で展開されるという秀逸な構成です
それで『死に山』を換骨奪胎し、現代の歴史雑誌の編集者たちが八甲田雪中行軍隊遭難事件の謎を暴いていく現代パートと、事件当時の過去パートの双方を入れ子構造で描いていくという構想ができ上りました。
ただし、頻繁に過去と現代とを行き来していくと読みづらくなるので、それぞれを大きな固まりとしてまとめました。過去と現代の行き来を通じて、事件の謎が次第に明らかになっていくという構成は、『ライトマイファイア』に通じるものがあります。

早見:この作品の読書会は私も参加させて頂きました。最後はあっと驚く趣向があって、楽しみました。この事故は映画と新田次郎さんの作品のイメージが強すぎて、青森連隊と弘前連隊の友情物語みたいな描かれ方をしていますが実際は全然違うということを、『囚われの山』を通じて知りました。まさに小説を通じて気づき、そこから専門書を読んで歴史を知る、という伊東さんの目指した流れを体感することができましたね

伊東:本作もノンフィクションをベースにしながら、フィクション部分を作り込むという手法に特徴があります。ただしノンフィクション部分には、ほんの少しだけ独自の解釈は加えていますが、ほとんどは史実のままです。よく「小説なので史実かどうか分からない」といったレビューを書く人がいますが、この手法を使う場合、史実をベースにしていなければ面白くなりません。その縛りを強くした上でフィクション部分を作り込んでいくというのが、われわれプロの仕事だと思います

伊東:最後に『囚われの山』に続く近現代作品についても紹介したいと思います。
まずは書き終わったばかりの『琉球警察』です。本作はGHQの管理下にあった沖縄に、九年間だけ存在した琉球警察の若手警察官を主人公に据えたクロニクル的長編です。
本作は沖縄の基地問題や瀬長亀次郎といった実在の政治家を扱っていることもあり、お堅い話に思われがちです。それゆえ、いつも以上にアクションを盛り込んだエンタメ色の強い作風にしました。
本州に住むわれわれは、戦後の沖縄の置かれた状況にあまり関心を持っていません。実は私もそうでした。しかし沖縄の不幸は今も続いているのです。この難しい問題を、エンタメ小説を通じて知ってもらい、少しでも多くの方に関心を持っていただきたいのです。
そして現在執筆中の作品が『修羅奔る夜』です。本作は女性の「ねぶた師」を題材にした作品で、ミステリーから離れた真っ向勝負の人間ドラマです。
ねぶた作りに関わることになったフリーランスの女性が、様々なハードルを乗り越えて、何かを見つけるまでを描いていきます。また「ねぶた祭」自体は知っていても、その舞台裏はあまり知られていません。小説を通じて「ねぶた師」たちの仕事や生きざまを知っていただき、「ねぶた祭」をもっと楽しんでほしいと思っています。お読みになった方は、きっと「ねぶた祭」に行きたくなりますよ。

早見:作家というのは、常に新しいチャレンジが大切ですね。伊東さんと話していて、私も執筆意欲をかき立てられました。

伊東:ありがとうございます。もっと書きたくても書くことができなかった誉田君のためにも、われわれはとことん書き続けましょう。

(文:maito)

profile

作家 伊東潤(いとう・じゅん)

itojun

1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『黒南風の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』(PHP研究所)で「第1回本屋が選ぶ時代小説大賞」を『国を蹴った男』(講談社)で「第34回吉川英治文学新人賞」を、『巨鯨の海』(光文社)で「第4回山田風太郎賞」と「第1回高校生直木賞」を、『峠越え』(講談社)で「第20回中山義秀文学賞」を、『義烈千秋 天狗党西へ』(新潮社)で「第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)」を受賞。近刊に『茶聖』(幻冬舎)、『囚われの山』(中央公論新社)がある。


作家 早見俊(はやみ・しゅん)

hayamishun

1961年岐阜県岐阜市生まれ。法政大学経営学部卒。会社員の頃から小説を執筆、2007年より文筆業に専念し時代小説を中心に著作は百八十冊を超える。歴史時代家集団、「操觚の会」に所属。主な著作に、「大江戸人情見立て帖」(新潮文庫)「無敵の殿様」(コスミック時代文庫)「闇御庭番」(光文社文庫)等のシリーズ作品の他、「常世の勇者 信長の十日間」(中央公論新社)がある。「居眠り同心影御用」(二見時代小説文庫)「佃島用心棒日誌」(角川文庫)で第六回歴史時代作家クラブシリーズ賞受賞、「うつけ世に立つ 岐阜信長譜」(徳間書店)が第23回中山義秀文学賞の最終候補となる。現代物にも活動の幅を広げ、「覆面刑事貫太郎」(実業之日本社文庫)「労働Gメン草薙満」(徳間文庫)「D6犯罪予防捜査チーム」(光文社文庫)を上梓。